いじめの記憶は消えない。いじめを楽しんでいるあなたへ。
突然ですが、皆さんは、『学生時代の教本』って持ってますか?
私は元医療従事者なのですが、学生時代に使っていた教本を長年保管していたんです。
でも医療なんて進歩して新しい薬や治療法も出てくるもの。
学生時代は最新の情報だったのかもしれないけれど、もうすでに変わってしまった常識などもありますよね。
そんな私もついに、もう何年も開くことのなかった学生時代の教本を捨てました!
思い出したくもない、過去の記憶と共に…。
※感受性の高い方や、文章からその情景をイメージしてしまう人は、もしかしたら嫌な気分になってしまうかもしれないので、ここでストップしておいてくださいね。
これから、何十年もの間、私の心の奥底にしまっていた大きな傷の話をしていきます。
地獄の始まり
あれはちょうど今くらいの時期だったな。
かなりの長文になると思うので、読みづらいとは思うけれど、上司がきつくて仕事行くのが嫌だなとか、仕事のこと考えるだけで具合が悪くなるとか、今現在イジメにあっているとか、もう消えてしまいたいとか…今辛い思いをしてるみんなに読んで欲しい。
ここで私が20歳の時に体験した、職場での壮絶ないじめについて書こうと思う。
それは2005年の春にさかのぼる。
人生で一番最悪な1年半の幕開けだった。
この日を楽しみにしていたよ。うちはスタッフ同士の人間関係を大事にしている。そして、君がうちのクリニック初めての歯科衛生士だ。歯科衛生士としてみんなを引っ張っていってほしい。いずれ君を主任にしようと思っているからね。頑張ってくれよ。
院長からこんな言葉をかけてもらい、即、内定をもらった。話しやすい気さくな院長で、私はこんなスタッフ思いな院長の下で歯科衛生士として働ける日を楽しみにしていました。
仕事がスタートしたら、患者さんにこういう指導がしたいな、スキルを磨きたいな!と夢を膨らませていた私。
これからやってくる恐怖を知らずに…。
就職してすぐその恐怖はやって来た。
院長からのセクハラと主任や他のスタッフからの陰湿なイジメである。
出勤初日から、自分が歓迎されていないことに気づいた私。
何も教えてくれない。
私がやることなすこと全てを否定してくる。
私が学校で習ってきたやり方で仕事をしていると、『学校と臨床は違うから』とやり方を変えられる。
学校で習ってきたことが全て正しいかというとそうではないけれど、明らかに
矛盾だらけ。
昨日「右に置いて」と言っていたのに、今日は「左に置いて」と言う。
ミスを全て私のせいに。
患者さんの入れ歯や銀歯を作る為に必要な石膏の模型を壊され、それを私のせいにされました…(また患者さんに再来院してもらわないといけない…)私じゃないと言っても、院長も信じてくれなかった。
昼休憩はあってないようなもの。
昼休憩には先輩方のお茶の準備。
主任は一口飲んだらすぐ注がないと必ず文句を言う。
『前の子はすぐ注いでくれたんだけどねぇ、ほんと使えねぇな』
コップも一人一人色が決まっていて、間違えるとうるさかった。食後には先輩方の歯磨きコップと歯ブラシと歯磨き粉の準備。これも先輩ごとに歯ブラシと歯磨き粉の種類が違う…。間違えたり、歯磨き粉が適量じゃないと文句を言われる。
(これ、他人にやってもらうようなことですか?)
テレビはいつもドロッドロの昼ドラ。
昼間っから濃厚なキスにベッドシーン….。
(今もそういう系のドラマやってる?)
当時20歳の私は気まずいったらありゃしなかった。
私はこの昼休憩が苦痛で苦痛で仕方なかった。
だから、1時間ある休憩時間もお弁当を10分で食べ、先輩方の歯ブラシと歯磨き粉を準備して、医局から出て一人で午後の診療の準備して、残りの休憩時間も医局に戻ることなくチェアに座ってうつむいてた。
イジメは診療終了後も続く。
院長が病院を出たのを確認すると、先輩方の態度が急変。
私への説教タイムが始まる。
医局の真ん中に座らされ、先輩方に取り囲まれ、一人一人からダメ出し。毎日泣きながら帰ってました。
あの時の主任の支配者のような嘲笑は私の記憶の中に残っています。
『注意してもらえるうちが華だよ。私たちだって先輩から同じことをされたんだから、これは登竜門なの。だからアンタもやられて当たり前』
(え?自分たちが嫌な思いをしたんだから、後輩にはそういう思いをさせたくない。じゃなくて?なんで同じことを繰り返すの?意味わかんない!)
診療や患者さんに関することで間違いがあるなら正しますし、明らかに間違っていて、それを注意されているならわかりますが、そうではなく、否定してくるのは私の性格だったり、モノがどうこうの話。
お前は常識がない。
お前がおかしいんだから、お前の親も常識がないんだろうね。
(私のことは否定しても親の否定をするな!流石にこの時は突き飛ばそうかと思った!歯を食いしばって、今にも殴りかかりそうな右手をグッと抑えてた。)
こんなことを毎日言われ続け、最初は先輩方が資格の有無よる給料の差による妬みで嫌がらせをしてるだけだから、すぐに終わるだろうと思っていたけれど、それがずっと続き、まともだった自分の頭もだんだん洗脳されていきました。
社会に出ると、家族と過ごす時間よりも、職場の人たちと過ごす時間の方が長くなります。
そうすると、毎日毎日否定され続けると、
自分がおかしいんだ。私には常識がないんだ。
完全に私の頭はおかしくなっていました。
当時は『鬱』もあまり認知されておらず、ただのワガママだという考えがまだ強かった。
だから、私も自分は鬱だとは思ってなかったし、弱い人がなるものだと思ってたから認めたくもなかった。
その頃は夜寝るのが嫌だった。
明日が来たら、私はまたあの職場に行かなければならない。
院長からはセクハラされる、先輩方から何を言われるんだろう…。
次はどんな酷いことをされるんだろう…。
日が経てば経つほど、私はおかしくなっていく。
朝起きるのが辛い。
食欲がわかない、お腹は常に下ってる。
うつむきながら通勤のバスに揺られて出勤。
泣きながら帰宅。口数も減っていった。
そして秋の冷たい雨の降る日に、いつものように説教が終わり、先輩方が帰ったのを確認した後、近くの公園のベンチで雨に打たれていました。
あの時はもうどうなってもいいと思っていました。
明日も仕事だ。また何か言われるんだろうな。
もう明日なんかこなければいいのに。
親とか友達は「その先輩方がおかしいんだよ」って言ってくれたけど、職場に来ると私の人格は全て否定される。
…やっぱり私が常識ないのかな。
こんな、仕事もできない私が生きてる意味ってあるのかな…。
親に迷惑はかけられない。
私、どうしたらいいの?
涙が止まらなかった。
母が何度も携帯に電話をくれていましたが、それも無視し続けていました。
そして22:30を回った頃、母が私を見つけてくれました。
ごめんなさい。
としか言えなかったけど、
母は何も言わずに抱きしめてくれました。
20年も一緒に生活してて、私が就職をしてからどんどん元気が無くなって行くのに気づかない訳ないですよね。
毎朝暗い顔をして出勤していた私を見て、かなり心配していたみたいです。
母は就職前には「最低でも3年は続けなさいね」と話していましたが、この状況を見て、「辛かったら辞めてもいいんじゃない?他のところ受けてみたら?」と提案してくれました。
それからすぐに退職したいと院長に言いました。
ですが、院長がなかなか認めてくれず、
◯月に◯◯があるから、あと3ヶ月頑張れないか?とか、年明け後もGWまでは?とか。あと1ヶ月、2ヶ月と延ばされ…。
その間もイジメは続きました。
もちろん私のメンタルはとっくにピークを超えていました。
そして、冬の仕事帰り
今飛び込めば終わる。
目を開けた時には、私の体はトラックの下にありました。
でもドジな私は死ねなかったみたいです。
トラックのおっちゃんに怒られたのは覚えています。
私はなんてことをしてしまったんだろう…と家に帰ってから反省しました。
そして、何度院長に引き留められても辞めるという意思を貫こうと決めました。
院長は何も知らないだろうけれど、実際に私が主任や他のスタッフから受けていたイジメの内容も伝えなくてはと思い、今回はやられた事を全て紙に書き出して。
日付と内容をしっかり明記して、それを退職届と一緒に提出しました。
結局、退職はお盆になりました。
他のスタッフにバレないようにコソコソと退職に向けて動いていた私ですが、
退職日が確定した次の日、院長が朝礼で私の退職のことを話したのです。
私はゾッとしました。静かにフェードアウトしたいと思っていたのに、また主任に火をつけてしまったのです。
そこから退職までの約一週間。
スタッフ全員から完全無視の攻撃。
これが想像以上にキツかった。
自分ではあと一週間だから大丈夫!と思っているのに、異常なほどに1日が長く感じるのです。
仕事でどうしても必要なこと以外、他のスタッフに声をかけないようにはしていましたが、一切口を聞いてもらえず、最後の一週間は私が存在していないかのようでした。
例えるなら生き埋めというか、意識がある状態でナイフで傷つけられるような感覚がありました。
…私の心はそれくらいボロボロになりました。
そして2006年、お盆。
終戦。
私の人生の第一次戦争は終わりを迎えたのでした。
退職日も、主任から
「アンタが一番長かったよ、前の子は3ヶ月で辞めたからね」
「アンタなんてこんな小さな職場ですら上手くいかないのに、ディズニーなんか大きな会社で上手く行くはずがない」
(退職後、上京してキャストになったんです!また後日書きますね)
と吐き捨てられました。
もうあれから15年以上も経ってるのに、いまだに思い出すと涙が溢れてきます。
心の傷は何年経っても消えないんです。
やった方は覚えてないでしょう。
もう彼女たちもとっくに退職して、結婚して母親になっています。
私のことなんて覚えてないだろうし、この先一生考えることもないと思います。
でもやられた方は一生覚えてる。
あの時言われた言葉も、相手の顔も忘れない。
この記憶を消すことができたら、どれだけ楽になるか。
最後に。
これからイジメや人間関係で辛い思いをする人がいなくなることを望んでいます。
辛かったら、苦しかったら我慢しないで。
逃げることは恥ずかしいことじゃない、悪いことじゃない。
他人の人生を生きないで。
これはあなたの人生だから。
あなたが幸せにならなきゃ意味がない。
全ての人に可能性があります。
どうか、その可能性を潰さないで。
未来は明るいから。
私は友達や家族に支えられ、自己啓発本などを読んで自分の気持ちをコントロールし、3ヶ月の療養期間を経て、生まれ育った北海道を離れることにしました。
過去の私を知る人がいない場所へ。
北海道ではおとなしく、控えめで、口数も少ない暗い女子でしたが、上京して、新たな人格を手に入れました。
新しい人格と言っても、無理してその人格になったのではありません。
正確には、なりたかった自分になれました。
人と話すのが好き、目立つのが好き、人のために尽くすのが好き!
今まで周りの目を気にしすぎていたんです。
もっと自由に生きていいんだ。
ってことに気づきました。
今は悩みが全くないわけではありませんが、
毎日小さな幸せを感じながら生きています。
どん底まで落ちたから、これ以上悪いことなんてもうないし、何か起こったとしても乗り越えられる自信があります。
今いる環境が全てではないから、
合わないと思ったら、転職するのもありだと思います。
環境を変えたり、新しい人と出会ったりすることで、人生は豊かになるから。
同じように悩んでいる人の心の支えになれたら、と思って今回このブログを書きました。
共感してくれる方がいたら嬉しいです。
「いじめ」をして楽しんでいるあなたへ
今、自分が単に「気に入らないから」とか、「自分の立場が脅かされているから」という理由で相手を攻撃しているあなた。
あなたのやっていることはとても恥ずべきことです。
悲しいけれど、自分のやっていることが「いじめ」だという自覚もないかもしれませんね。
あなたのしたことは、後に何倍にもなって返ってきます。それだけは覚えておいてください。
そして過去に自分がしたことが「いじめ」だったかもしれない、と思っているあなた。
それに気付いたのは素晴らしいことです。
そしてあなたがするべきこと、それは「相手への謝罪」と「2度と繰り返さないこと」、そして「いじめをしている人を見かけたら、やめるように伝えること」です。
あなたは軽い気持ちでやったのかもしれない。
けれど、やられた方の傷跡は永遠に消えないし、相手の人生を変えてしまうほどの力があることを忘れてはいけません。
「あなたの言葉」「あなたの態度」がきっかけで最悪、人の命まで奪ってしまうことだってあるんです。
「あれだけ言ってもいつも通り出勤してくるんだから大丈夫でしょ」なんて甘く見ないでください。
その背中には目に見えないだけで、あなたから投げられた言葉のナイフがたくさん刺さっています。
それでも立ち上がるのは「夢のために諦めたくない」とか「家族を守りたい」とか、あなたの中にはない「強い気持ちやエネルギー」があるからです。
いじめられている方はあなたの何倍も強いんです。
いじめは弱虫がするものです。
弱虫な自分を隠したくて大きく見せようとしたり、自分が何もできないから相手が羨ましくて引き摺り下ろそうとするんです。
その愚かな行為に今すぐ気づいてください。
いつか、あなたの心も愛で満たせる日が来ることを祈っています。
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